日本語の語彙(い)の数は50万語以上とされていて、世界でもトップクラスの語彙の多い言語だということです。
これは、世界に対して、日本の文化の誇れる一面ではないかと思います。
しかし、私のボキャブラリーの貧弱さを充分に認めたとしても、それでもダンスを教える時に感じるのは、身体の動きの微妙な感覚を表現するには、語彙の数が足りないな、ということです。
ですから、レッスン中にどういう言葉を使ったらよいかということには、常に気を使っています。
日常で、「押す」という言葉を使いますが、ダンスのレッスンでもよく使われるようです。
例えば、ルンバを踊っている時に、男性が女性を後退させようとして、左手で女性の右手を押すように、という言葉を聞くことがよくあります。
しかしこの場合、私は簡単に“押す”という言葉は使わないようにしています。
「自分の腕を伸ばしてください。そうすれば、相手に後退するようにという信号が送られますよ。」というような、少々面倒くさい言い方をします。
そうすると、相手には強い力ではない、“押すような”フワッとした力が伝わると思うのです。
私が皆さんに伝えたいことは、“押すような”動作であって、“押す”動作ではないのです。
話が変わりますが、掲示板8月26日付のK氏のご意見には99%賛同いたします。
では、残りの1%は何かというと、誠に申し訳けないのですが(平身低頭)、“張り合い”という言葉です。
この“張り合い”という言葉は、K氏も感じているように、“押す”という言葉と同じように、相手に対して強い力で働き掛ける、というイメージを皆さんに感じさせてしまうのではないかと危惧してしまいます。
私はこの場合、“ずらす”という言葉や、“主働力と拮抗力”(主働力を生かす為の拮抗力という意味で使っています)という言葉を使っているのですが、どうでしょうか。
言葉は大切で、今日の人類の繁栄は言葉なくしてはありえなかったでしょう。
ただ、言葉が先にあるのではなくて、感情や感覚が先にあってそこから言葉を考える、ということが何事においてもとても大事なことではないか、と私は思います。